曹源寺前住職横井一保和尚 4月15日未明97歳を以って円寂いたしました。生前 皆様から格別のご恩顧を
賜り篤く御礼申し上げます。閑栖となって20年 悠々自適 消光の日々を全ういたしました。遺言により
お別れの儀式を省略させて頂き ここに寸著をもってご報告させて頂きます。有難う御座いました。
平成16年4月15日 曹源寺
曹源寺と花梨・一保和尚のこと
日曜坐禅会が9時に終わると、楽しみなのは和尚が用意してくださるお茶の会である。寒いときも、
暑いときも、10年1日のごとく接待してくださっている。いつもの部屋、それは本堂の東側に
土塀で囲まれて庭が南に見える部屋である。寒い寒いと思いながら、見慣れた庭を拝見しないまま、
数ケ月たったが今日は庭に面したところの障子が開けてあった。
「あっと」心のなかで私は声をあげる。毎年、見ている花梨が、薄い桃色の花弁を薄い緑色の
葉の間から沢山のぞかせている。今年も春の訪れを、この小庭で実感する。この風景をいったい自分は
何回見たのであろうか。私がここへ来るようになって月日がたつのは早いもので、24年が経過した。
最初訪れたのが昭和46年3月のことであった。それまで勤めていた会社を退職して、次の仕事につくまでの間、
人生のこと、これから先のことをいろいろ考えていた。その頃よく単車でほうぼうを散策していたが、途中寄り道でふと、
この寺の表山門に寄った。表参門には「日曜坐禅会」の案内の書が掲示してあった。
もともと禅に興味をもっていたので、次の日曜日から参加した。その当時の和尚(横井一保和尚)は
笑顔が七福神のひとり布袋さんのような笑いをされる方なので、私にはその笑顔がとても楽しくて、
和尚が笑えば私も笑った。まさしく笑顔の大先生であった。
その当時の俳句のメモから「春うらら 和尚の話に 花が咲き」ある春のいっとき、庭の花梨が桃色の
花を一杯つけて我々を歓迎してくれているようであった。地面の青々とした苔とねじれた花梨の幹とが
樹齢の経過を思わせていた。一保和尚はこのとき、こんなことを言われた。
「お菓子のカリン糖は、この幹がねじれているところからヒントを得て命名されたのですよ」そういえば
まさしく花梨の幹は、お菓子のカリン糖と同じような形をしている。
その出来事があったのは、冬のある寒い朝のことであった。鐘楼の向かい側にある禅堂で、いつものように
一保和尚が警策をもって我々を指導してくださっているとき、禅堂の真ん中にある囲炉裏で、
かねて用意しておられた枯れ枝を燃やして我々のために、暖をとってくださった。
坐禅とは、どんな寒いときでも我慢しなくてはと思っていたので、思いもしないもてなしが嬉しかったこと
を思い出す。坐禅が終わると「あったかい所で、お茶でもどうぞ」と誘ってくださるのが、いつもの部屋であった。
いまでも一保和尚の心遣いをありがたく思うのが、我々が行くときまでに、すでに部屋を暖かくしてあったことである。
歳かわり、人変わる。年年歳歳人同じからず。しかし、いつもの部屋から見える花梨は、今日も庭の中心に、
どっしり安座していて、我々の俗世間の苦労を傍観しているかのように、泰然とそこにあるのは不思議な感がする。
「追記」一保和尚は、平成16年4月15日未明ご逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
世の中、あちらを向いても、こちらを向いても、やり場のない世相、何か楽しくなる話題を探していた矢先「男はつらいよ」
の寅さんファンクラブ会長が「笑いと健康」の講演に来岡されると聞き、夫とともに笑いを求めて会場である山間の廃校、
御津町承芳小学校を訪ねました。
雪の舞う冷たい日でしたが、校内に入ると地元の方に声を掛けられて、私の心は急に温かくなりました。
講師のフリージャーナリストの松井寿一会長の第一声は、人は生れ落ちたら死去の旅、人生は一度限り、
一日に百回笑いましょう。笑えば笑うほどしわが増えない。笑わないとしわが深くなる。笑いは周囲の人を楽しくし、新陳代謝も
血液の循環も良くなり、免疫機能が活性する。笑いは内面からのジュギングであり、心のゆがみを正しくするということなど、
心にしみるお話を笑いながら時間のたつのも忘れて聞くことができました。これからの生活の上で、笑いを取り入れる工夫をしたいと強く感じました。
平成14年2月20日付け・山陽新聞朝刊”ちまた”掲載・馬場恵子
曹源寺の日曜坐禅会へ参加して、この3月でちょうど30年の月日が流れた。時の経過のなかで坐禅会へ参加
していることが心の支えとなっている。今日(3月4日)の坐禅会でも、境内は、30年前も今と同じように
私を迎えてくれる。自宅から自転車で約5分ほどの近さである。最初ご指導いただいた先代住職横井一保和尚は、
満94歳でお元気で、時折お訪ねすると布袋さんのような笑顔で迎えてくださる。
現住職原田正道和尚は、明るく、さわやかな雰囲気で、暖かくご指導してくださっている。おかげで、
狭くなりがちな心の世界を広く見る方法を学んでいる。「心の健康メッセージ」でご紹介している原田正道和尚の
お話をメモして帰り、その内容の深さを味わっている今の自分である。
平成13年3月4日 馬場久雄 記
曹源寺もろもろ
私の自宅から自転車で5分ほどで曹源寺へ行ける。ご縁で日曜坐禅会へ参加してから、足掛け30年
になる。光陰矢の如しというか月日がたつのは早いものだ。曹源寺は、岡山藩主池田家の菩提寺と
して、2代綱政が元禄11年(1698)に創建した。境内は30町歩といわれているが、今にいたるまで
表山門から本堂そして背後にひかえる山は、創建当時の面影をとどめている。
「曹源一滴水」という言葉で知られる儀山和尚。和尚の一滴の水の命の尊さを教えた一喝が後の
天竜寺管長 由利滴水を生んだ。
滴水の弟子で山岡鉄舟のエピソードとして横井一保和尚(93歳・隠居)のお話では、明治天皇が
幼君であったとき、天皇と相撲相手をしたお付がご機嫌をとって負けてばかりいたところ、
山岡鉄舟がお相手をしたときには、天皇を高く持ち上げ池に放り投げたとのこと。
そのように厳しくお育てしたので、立派な天皇になられたとのことである。天皇の御座所には、
いつも鉄舟の佩刀が置かれていた。その刀は現在東京谷中の全生庵の秘宝になっている。
又同じく儀山和尚の門下で、鎌倉円覚寺管長 釈宗演は、夏目漱石の小説「門」に登場する。
日曜坐禅会に参加していて、いつも感じることであるが、幾多のすばらしい先人が残した遺徳に
ほんのわずかでも、近づけたらと念じながら、日々過ごしている。
当社のホームページで、「心の健康メッセージ」を設置しているが、日曜坐禅会のあと原田老師が
お話になる要旨を私なりの受け止め方でメモして、逐次掲載している。
日曜坐禅会は、自由参加で毎日曜日午前8時から9時まで、本堂でおこなわれている。
時間厳守であるので、午前8時以降は入堂不可。坐禅のあと、老師がお茶を接待してくださる。
その席で、老師に参加者がいろいろ質問すると、どんな質問にでも懇切丁寧にお答えになる。
ありふれたお話のなかに、奥深く、味わいのあるテーマが表現されている。
昨今のように、世情が目まぐるしく動くなか、静かに坐り、心の内面に向かって不動なものに
目を向けてみようとする試みの意義は大きい。
平成12年3月 馬場久雄記
曹源寺の日曜坐禅会へ参加して、今年ではや50年目になる。
今朝もいつものように総門を入ると、境内はきれいに清められていて、俗世間と離れたようなおだやかな気持ちになる。
方丈池にかかる太鼓橋から左右に咲く蓮の花を見て石畳をまっすぐ進むと、青葉に映える山門がある。
この山門は、元禄11年(1691)創建当時からそのままのものといわれる。その山門の山号額に、護国山と書かれている。
その山号額を見上げるたびに、自分の息子の誕生日と命名との由縁を思い出す。
50年前、息子の命名に思案していたが、何気なく見ていた山号額に、ふと命名のヒントをいただいた。
まさしく国という名前の壱字との出会いであった。
その息子も50歳をむかえ自分も80歳をこえる年齢になった。
歳月人を待たず まさしく山門を見上げるたびに実感する。最初にご指導いただいた先代住職 横井一保和尚が亡くなられたあと、
その後原田正道和尚が赴任された。正道和尚は、外国の修行者を受け入れて、坐禅の指導をしておられる。私の人生の大半は
、二人の和尚さんの影響を受けている。
50年の月日は、経過してみると、とても速かったと思う。ここ数年のうちに同年代の友人が数人亡くなった。
生命あるものは、いずれ死があるということは、この年齢になると、自然とわかってくる。そのことを原点として考えると、
自分を囲む全ての環境、動植物が、生き生きと輝いて見えてくる。自然の恵みのありがたさを実感する。
自分は、今ここに生きている。この瞬間を大事に生きていこうということを感じているのが、今の自分である。
曹源寺では、毎年、年の暮に日曜日坐禅会のあと参加者で年末の大掃除がある。広い境内と本堂をはじめ開山堂、経蔵、書院、鐘楼、鼓楼、
ねむり塚のある紅葉台、池田家の墓地などを参加者が手分けして掃除する。終わったあとは、ぜんざいをいただくのが恒例である。
長年掃除に参加していると、いろいろな場所に遭遇して、楽しい。ある年の暮、山門を担当した。古い建築なので、動きも慎重になる。
山門の上層の内部は、仏壇の中央には宝冠の釈迦と両脇侍が安置されていて、その左右に十六羅漢の木像がならんでいる。年代ものだけに、
注意して周囲を掃除した。
普段、何気なく山門の下をくぐっているが、頭上にはそのような仏像が安置されていることを思うと、山門に入る前に、礼拝する気持ちになる。
現在、日曜坐禅会は、仏殿で行われている。50年前初めての坐禅会参加のときは、山門の東にある禅堂が使われていたが、
参加者が多くなり仏殿に変わった。
仏殿のご本尊は、十一面観音像が安置されており、坐禅する前に礼拝する。そのとき、
今こうして元気で生きていることへの感謝の気持ちをご報告するのが、常である。
ご縁で、山号額から一字名前をいただいた息子は社会で元気で活躍してくれており、大阪に居る娘と孫達も年末の曹源寺での坐禅後、大掃除に協力してくれることもある。
年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人同じからず 劉廷芝(りゅうていし)
今日も山門はいろいろな人々を温かく迎えてくれている。
令和3年11月 馬場久雄記